豊中生物同好会 豊中市の教員仲間の勉強会から自然環境保護活動へ

豊中市の教員仲間の勉強会から自然環境保護活動へ

豊中生物同好会

2024.04.22

団体概要

豊中生物同好会は豊中市内の小中学校に勤務する理科の教員達が集まり、生物調査や自然観察会などの野外活動を通して、指導上必要な資料を作ることを目的に1957年に発足しました。広く一般の参加者を含めて豊中市内の植物採集の標本を整理し、「豊中の植物目録」の編纂を行い、それをまとめた「豊中市生物誌Ⅰ」「豊中市生物誌Ⅱ」を豊中市理科教育振興会より発行しました。 それ以降、多い年には年間20回以上の自然観察会、研修会などを積極的に行ってきました。また、豊中市から遠く離れた自然地(山、海、島など)へも自然調査や研究に出かけ、その成果をまとめた小冊子を1994年までに23種類作成しています。
 現在は、勝尾寺で日の出前から鳥の声を聞く探鳥会を継続するとともに、自然観察会での講師協力、島熊山緑地協議会への参加などを行っています。

環境の取組み

 理科教員による研鑽を目的として活動を開始した団体でしたが、都市化が急激に進んだ豊中市において、残された自然環境を守るための活動を活発に行ってきました。 1980年頃、羽鷹池周辺の開発が計画された際には、同地区での自然保護についての要望書(約15,000人の署名)を豊中市長に提出し、後に結成された「羽鷹池を守る会」の母体となりました。活動の結果、「羽鷹下池」は、かんがい用水と調整池機能を持たせた水面を残しながら、公園緑地として事業計画されることになり、現在に至っています。
 1984年に、新千里東町にある安場池を埋め立て、スポーツ広場を建設する計画が持ち上がった際には、「安場池を守る会」が結成され、工事の一時中止を求めた要望書(約5,500人の署名)を豊中市長に提出されました。この時、豊中生物同好会は池の観察会などで協力しました。その後、豊中市は安場池を残した千里中央公園の利用計画を練り直し、現在の形になりました。 1991年に、緑丘3丁目の市有地に特別養護老人ホームを建設する計画が持ち上がった際には、当時反対運動を行っていた「島熊山の雑木林を守る会」に協力し、コナラなどの植生調査を実施しました。調査による土地の形状、植物の群生状況から、施設の建設する位置を東側に移動させることとなり、現在に至っています。
 1996年に島熊山にヘリポート建設が持ち上がった際は、地元自治会などと一緒に大阪府と豊中市に緑地保全の要望活動を行い、その後も継続しました。2004年に大阪府から豊中市へ無償譲渡された後に発足した「島熊山緑地協議会」では、豊中生物同好会も団体会員となりました。同協議会では、地元住民や行政が協働して保全活動や自然観察会などを行っています。
 また、豊中生物同好会でこれらの活躍をしてきた主要メンバーは、1996年に発足したとよなか市民環境会議に参加するようになりました。その後、とよなか市民環境会議から自立してNPO法人化したとよなか市民環境会議アジェンダ21では、法人運営や自然部会の活動などに深く関わるようになり、現在に至っています。

伝えたい想い

豊中生物同好会の飯島昌さんと真野隆夫さんからは、「豊中生物同好会は発足してから67年もの長い間、豊中市の生物の観察と記録と教育、それを取り巻く環境を守る活動を継続してきましたが、日本の高度成長やベットタウンとしての豊中の都市化の波には抗しきれない部分もあり、じわじわと緑も減ってきています。しかし最近、大阪府で絶滅危惧種に指定されているホンドキツネが豊中市で生きていることが確認されました。キツネたちが安心して将来にわたって生きていけるような生物多様性に富んだ緑豊かな、わが故郷を守っていきたいものです。」とのお話をいただきました。

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